2010年度 第24回スピーチコンテスト

自己研鑽への道(サンプルスピーチ/2009年度優秀賞)

サンプルスピーチ / 川口 進さん(日本)
私は十数年間IT業界で勤務し、様々な業務経験をしましたが、転職を行う前に自分のキャリアをもう一度見直し、弱点を克服するためにこの学校に入学を決意した経緯をスピーチしたいと思います。  私のキャリアを振り返ると二点不足していると考えます。一点目は現場に就任すると短い時間で能力を発揮することを強いられるため、内部統制対応、セキュリティ対策、経理事務と言った事を、その性質や必要性という本質的な事を考えずに、あくまでも「ルール」として作業していました。そのため、その様な事を本業務として企画、設計、立案する際に具体的なイメージができずに作業に手間取った事も、設計ミスをしてしまった経験もあります。 二点目はコミュニケーション能力が不足しているという事です。内輪の人の中でのコミュニケーションのみではなく、どんな人でも分かりやすい説明が出来ませんでした。設計や機能を提案する際に、上司や発注側の担当者(お客様)への説明が失敗し、後々まで面倒な作業や運用を強いられる経験もしました。的確に設計意図を伝えることがこの業界では必須だと考えます。  しかし、このような事は会社の先輩や同僚の作業を見て体得すべきという指摘や、自らの努力や上司やお客様への働きかけが足りないためだと言う指摘もあると思います。確かにその指摘は正しく、この業界の諸先輩方々はその様にして業務を行ってきたと思います。  しかし、現場に入ってしまうと本業務に忙殺され、物理的に時間が取れないのが実情でした。ここでの授業では、資格対策として限られた時間内での解法以外にも資格試験の出題意図として、最新のテクノロジーと実務の関連性や各テーマの性質や必要性も同時に学ぶことが出来ると考えます。 また、この学校ではデュアルシステムという、学業と実務を兼ねる事が可能な仕組みがあり、私も午前中は学生、午後は教鞭をとっています。教員になると学生とは立場が逆転し大勢の生徒の方々から質問が集中し、個々の質問が全く異なるため、瞬時に的確な教示の訓練が実施されます。そのためポイントを押さえたコミュニケーションを学ぶことが出来ると考えます。 卒業するまでに弱点が完全に解決できることを目標に日々努力したいと考えます。

編集者注釈
※1:4年制マルチメディア学科3年次へ昨年編入学し、現在は4年次生。応用情報技術者
   国家資格試験に合格。オラクルデータベース認定資格ORACLE MASTER GOLD取得者
※2:C言語やWebプログラミング演習のTA(ティーチングアシスタント)
※3:平成23年3月 4年制マルチメディア学科を卒業(高度専門士)。(財)専修学校振興会理事長賞を受賞。
   同年4月に大手ベンダー系IT企業(社員600名)に役職付DBエンジニア(主任)として就職

忘れられない出会い

優秀賞 / 稲垣佳奈美さん
私は今年の3月に大学を卒業し、さらに自分の好きな勉強を続けるためにこの学校に入学しました。大学在学中は勉強もそこそこに、様々なサークルや団体に所属して、多くの友人を得ることができました。今日はその中でも特に忘れることのできない、2006年に出会った仲間たちについてお話しします。みなさん、アフガニスタンと聞いて何を想像しますか?ほとんどの人は紛争、空爆などの物騒なイメージを持ったと思います。わたしの大切な友人は、4年前にアフガニスタンの首都カブールから日本にやって来ました。 アフガニスタンでは20年以上にわたって紛争が続いてきました。そのアフガニスタンにMMCCというNGO団体があります。MMCCとはMobile Mini Circus for Children、子どもたちのための移動ミニサーカスを意味します。MMCCのチームは、地方の村々の学校、病院やストリートチルドレンの教育施設などを含む50万人を超える人々に公演活動やワークショップを届けてきました。彼らのステージには「子どもの人権」「平和教育」「健康衛生」「社会教育」などのテーマが盛り込まれ、伝統的で教育的なパフォーマンスになっています。カブールにあるMMCCのカルチャーセンターには地元の子どもが数多く集まり、歌や絵画、サーカス、演劇、コーラン、手芸、などを学んでいます。学校のすぐそばで爆弾が破裂することもあるという環境の中、子どもたちは自由に遊び回り好きなことをして過ごしています。日本にやってきたのは、その中でも選りすぐりの芸達者またはやんちゃ者、推定5歳から16歳の子どもたち13人でした。3ヶ月の間、今にも崩れそうなおんぼろ一軒家を借りきり、日本人スタッフ、アフガンスタッフ、アフガンの子どもたち、日本の子どもたちと生活したのですが、言葉が多少通じないことを除けば、日本の子どもと変わりはありませんでした。言う事は聞かない、食事は大騒ぎ、誰かが歌い始めれば全員で大合唱。最後には日本語の歌も3曲ほど完璧に覚えていました。そんな無邪気な彼らが、澄んだ瞳のまま「僕の将来の夢は、父を殺した国に復讐することだ」と言います。日本人には起こりえないことが、彼らの日常なのです。言い返すことができませんでした。彼が間違っているわけではない。けれど、正しいとも思えない。大事な友だちの口からそんな言葉を聞くのは悲しいばかりでした。地球上のどこかで、間違ったことが起きているのは事実です。私たちが何をすればいいのか、答えはいまだにうまく言葉にできません。今でも時折首都カブールでの爆弾テロのニュースを耳にします。一緒に歌い、踊り、暮らした友人が全員、今でも笑顔で暮らしていることを願います。

留学生として

優秀賞 / カズカ・スルヤさん(ネパール)
2007年の秋、私は故郷ネパールのカフェでコーヒーを飲みながら友だちと話をして、留学について急に興味がわいてきました。それまで一回も家族と離れて暮らしたことがなかったのですが、いつかは一人で生活をしてみたいと思っていました。じつは家族の束縛から逃げて、自由に生活をしたかったのです。そのためには留学するしかないと思い、国の先輩や友だちもたくさんいる日本に留学することにしました。両親からは反対されましたが、やはり親は子供の幸せを願っているのでしょう。最後には許してくれました。2008年の10月6日に、広島県福山市のYMCAという学校で先生と先輩に迎えられて、そのあとの1カ月ぐらいはすごく楽しかったです。自由にたばこを吸えてお酒を飲めて、いろいろな国の新しい友だちにも会えて、楽しいことばかりでした。日本語が全然わからなくても、先輩が全部してくれたのです。しかし、その先輩たちもやがて他の学校に入学していきました。何もわからない私たちは急に恐くなりました。そのあとの4カ月は苦しかったです。油を買いに行って他のものを買ってきたり、いいと思って言ったことでも怒られたり…どこへ行ってもすごく大変でした。遊びすぎて国から持ってきたお金もほとんど終わりそうになりました。バイトもない、お金もない、そしていちばん大事な日本語の力もない…もう帰るしかないという状態まで来てしまいました。その時、友だちとネパールのことわざを思い出しました。「もし今日までの人生が悪いことばかりでも、落ち込んだらダメ。神様が明日を作ってくれるから安心して寝なさい。明日の太陽と一緒にあなたの人生も変わる」ということわざです。私は、帰るのは逃げることになると思って、一生懸命頑張っていくことにしました。いいことを考えると、いいことがやって来ます。バイトも見つかって、知り合いも増えて、日本の生活にも慣れていきました。頑張って自分や親の夢をかなえようという気持ちになりました。私はITの勉強をしたかったので、この学校に入学しました。私の国でも情報化が進んでいますが、まだ技術は十分ではありません。不便なことがたくさんあります。この学校を卒業したら私は国へ帰って、情報技術を使ってネパールの人々の生活をもっと便利にしたいと思います。この学校の先生がたも学生の知りたい様々なことを教えてくれて、私は今、とてもうれしい気持ちになっています。

こうのとりのゆりかご

努力賞 / 池田夏さん
私は幼児教育者を目指していた時に子どもを取り巻く環境について調べたことがあり、少子化、虐待、誘拐殺傷事件などは深刻な社会問題となっています。みなさんは“赤ちゃんポスト”を覚えているでしょうか?一時期、多くのメディアで取り上げられよく耳にしていましたが、最近は全くと言っていいほど聞かなくなっています。私は今回、このような場をかりてもう1度“赤ちゃんポスト”について考えてみたいと思います。“赤ちゃんポスト”は、熊本県にある病院が2007年5月から導入した親が養育できない新生児を受け入れるシステムです。人目につきにくい病院の外壁に縦45㎝横64㎝の扉を設け、36℃に温度管理された保育器を設置し、育てられない親が新生児を入れると、重さを感知してブザーで知らせるというものです。次に、この設備の目的は望まれない赤ちゃんを虐待、殺害、中絶から守ること。設置から3年経ちますが今までに50人以上500件以上の相談があったと公表されています。また、このシステムには賛否両論あります。反対意見としては、「無責任な親が増える」「制度に甘んじてしまいそうだ」など、賛成意見としては、「人命が一番だ」「虐待を減らす手段になると思う」などがありました。私の個人的な意見としては、赤ちゃんポストに賛成です。確かにこのシステムことがあることで、妊娠に対して軽く考える、無責任な親の増加など、不安や問題は出てくると思います。しかし、このような問題は学校での適切な性教育、命の大切さについてよく考える、周りと協力し中絶や虐待で悩む親を助けてあげる、など解決策・防止策はいくつかあると思います。預けられた50人の子どもの親の中には、この小さな命を守りたいと思い壮絶な痛みに耐え出産しながらも、なんらかの事情で育てられず、子どもの幸せを願って利用した親もいるのではないでしょうか。このシステムは、子どもの命はもちろん、悩み苦しんでいる親も救われるのではないでしょうか。出産も育児もその大変さや辛さを経験してない私にはわからないのですが、なにより大切なのは何の罪のない子どもの命を1つでも多く救うことだと思います。最後に、このような子どもを取り巻く問題は「女性が中心となって考える問題」と誤解されているような気がしますが、少子化、虐待、望まない妊娠、子どもたちが被害者となる事件、全てに男性も大きく関わっています。日本の将来を担う子どもたちを取り巻く環境について、男女ともに大人の私たちがよくしていかなればならないと思います。

素敵な言葉

努力賞 / 林連子さん
日本に来たばかりの頃のある日、とても混み合っている電車の中で私は横の人の足を踏んでしまいました。そうしたらなんと、その人は私に「大丈夫?」と聞いてくれました。びっくりです。これが中国だったら、「お前、何してるの?」と怒られます。言葉もあまりわからない私はいつも心細かったのですが、この「大丈夫?」という一言で心がすごく温まりました。 そこで私は、日本人の気持ちを表す言葉について皆さんにお話してみたいと思います。  留学生の皆さんも日本に来て気が付いたと思いますが、日本人は常に「ありがとう」という言葉を口にしていますね。例えば、デパートやスーパーなどで買い物をすると、いつも店員さんの明るい「ありがとうございます!」をよく聞きます。ちょっとしたことでも「ありがとう」「どうも」と言ってくれるのです。最初のうちは慣れなくてどうすればよいのか戸惑ったこともありましたし、不思議に思った時もありました。 バイト中のことなのですが、私が料理をお客さんに運んで行くたびに、お客さんはみな「ありがとう」と言ってくれます。これは私の国の同じシーンではあまり見られない光景です。なぜなら中国ではお客さんはお金を払ってくれる立場で、神様のような存在なのです。二つの国の小さな文化の違いなのですが、日本人は常に感謝の気持ちを言葉で表しています。それが本音かどうかは別として、お店のスタッフとして当たり前の事をしてお礼まで言われるなんて、最高の褒め言葉でした。その一言でお客さんとの距離も縮まったような気もしました。日本で生活して行く私は、このようなお互いの気配りや挨拶がひとつの文化になって、皆の暮らしやすい穏やかな社会が自然に成り立っていくのだろうと思いました。 今こうして外国で暮らしている私たちですが、どんなことがあってもいつも暖かく見守ってくれるのは、やはり両親だと思います。今まで迷惑と心配ばかり掛けてきたのですが、中国にいる時は何となく照れくさくて、両親にお礼を言うことはありませんでした。いつか私は、両親に感謝の気持ちを込めて「お父さん、お母さん、今までいろいろありがとう!」と言ってみたいです。両親はきっと素敵なプレゼントをもらったと思うでしょうし、うちの子供もやっと大きくなったなと安心してくれるかもしれません。 私は日本での生活の中で、日本の素晴らしい文化だけはもっともっと身に付けていきたいと思います。以上です。ありがとうございました。

私の就職活動

審査員特別賞 / 金田貴之さん
若者の就職難が話題になっている。特に、春に各種の学校を卒業する新卒者の就職率低下は深刻化しており、2010年春の大卒者の就職率は6割程度であったという。私は、その残りの4割となって大学を卒業し、この学校に入学した。7月に、ある企業から無事に内定を頂くことができた。今回は、長きに亘った私の就職活動を振り返って、思うことを述べたいと思う。私の就職活動は、大学生として活動した期間と、専門学校生として活動した期間の2つに分けることができる。大学生としては去年の2月から今年の2月までの約1年間、専門学校生としては今年の5月から7月の約3ヶ月間となる。正確には去年も活動を行っていなかった期間が少しはあるのだが、それにしても2つの期間の長さには大きな差があるといえる。考えられる理由としては、やはり業界の絞り込みがあるだろう。去年の私は特にやりたいことが見つからず、様々な業界を受験していた。特に後半になるにつれて、早く内定を得なければという焦りから、多くの業界を狙った活動をしていた。そんな自分を見抜かれているかのように、良い結果は出なかった。しかし、大学で学んだ経験などからIT業界を目指すことに決め、専門学校に入学。業界を絞って自分のやりたいことを伝える活動に切り替えてからは、面接もスムーズに進んだと思う。実際に、今年受験した企業数自体は多くなく、1次、2次面接とスムーズに進んだところが多い。情報の発達も就職活動を複雑化させたといえる。説明会の予約などをネット上で手軽にできるようになったことで、1人が受験する企業数が増えて、本当に興味のある企業の説明会が満席で予約できないという状況はよくある。しかし、実際には空席…いわゆるドタキャンが目立つことも多い。また、履歴書の書き方や面接の受け答えなどのマニュアル化が進み、それを信じた活動をしようとして、かえって混乱してしまうケースもある。このように、多くの情報が溢れている時代だからこそ、就職難が進んだのも必然といえるのではないだろうか。いわゆる就活マニュアルには「多くの業界を見れば自分の適性が見つかる」のように書いているものも多い。しかし、私は「さっさと自分のやりたいことを決めて、それに絞って活動しろ」と言いたい。そうすれば、私がそうであったように、溢れる情報に踊らされることなく、自分の信念で活動ができるのだ。そのためにも、就職活動を始めるという時点で右往左往しないように、前々から進路について考える機会を設けておくことが重要である、と私は思う。

編集者注釈
※1 平成23年3月 1年制情報ビジネス学科経営情報処理専攻学士入学コースを卒業。同年4月にIT系企業に
   システムエンジニアとして就職