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2015年度 第29回スピーチコンテスト

【優秀賞】有山 晴香さん「戦後70年の今、考えたこと」

有山 晴香さん
2015年8月15日、日本は終戦からちょうど70年を迎えました。メディアでは度々戦争について様々な情報が取り上げられています。目を背けたくなるようなそれらの話は、フィクションではなく、紛れもなく70年前の現実でした。現在の平和な日本からは想像もつかないほど残酷で悲惨な事実ばかりです。もし、今でも終わることなく戦争が続いていたとしたら・・・考えるだけでもとても恐ろしくなります。 私は今まで生きてきた中で、何度か戦争について考える機会がありました。最初に戦争について学習したのは、小学4年生の時です。沖縄について学習する授業がありました。授業の一環で、戦争をテーマにしたドラマ「さとうきび畑の唄」をクラス全員で見ました。そのドラマを見終えたあと、何となくではありましたが、「戦争は恐ろしい、二度とあってはならないことだ」と感じたことを覚えています。戦争のこと以外にも、沖縄の素晴らしい文化や名産品、琉球音楽などについても学習し、いつかこの場所に行ってみたいと思うようになりました。それから数年後、念願が叶い、高校2年生の修学旅行で初めて沖縄県を訪れました。沖縄は現在では観光地となり、気候が暖かく、さらに住んでいる人も皆温かいとても魅力溢れる場所です。しかし、70年前は太平洋戦争で唯一の本土決戦と呼ばれる、激しい地上戦が行われていました。そこでは学生や女性、子供までもが戦いに参加し、結果、何十万もの無辜の人々の命が奪われることとなりました。そのような事実を修学旅行の事前学習で把握しつつ、旅行先でも平和学習が主となって行われました。まず、ひめゆり平和記念資料館という所へ行き、ひめゆり学徒隊だったおばあさんの話を聞くことができました。ひめゆり学徒隊とは、負傷兵の看護に当たった当時10代の女学生たちのことをいいます。240名いたひめゆり学徒隊は、その半数が殺害、または米軍の捕虜になることを避けるため、自ら命を絶つ決断をしました。涙をこらえながら話す語り部の方は、戦争でたくさんの友人を失ってしまったといいます。生の声で聞く戦争の体験談はものすごく心に響き、自然と涙が出てきました。平和記念資料館をあとにし、次に戦時中、数百人の人が避難していたという「轟の壕」に入りました。そこは中に入るまでが、険しい道のりで、入口は狭く足場もかなり悪い場所です。中はライトがないと何も見えなくなるほど真っ暗で、ほんの少し恐怖を感じました。中に入ると、クラス全員で1分間黙祷しました。目を閉じると何十年も前、ここに逃げ込んでいた人々の恐怖を自然と想像することができ、「どうか二度とこんな悲惨な戦争が起こりませんように」と心の中で強く祈りました。  私たちの世代は悲惨な戦争など当然体験していません。平和で豊かな環境の中、育ち生きてきました。そして、その平和を当たり前のように感じています。しかし、実際に起きていた戦争を思えば、当たり前など存在しないのです。今年は戦後70年の節目。これからあと10年、20年と年を重ねるごとに、実際に戦争を体験した人は必然的にいなくなっていきます。伝える人が少なくなれば「戦争はもう昔の話だ」と忘れ去られてしまうのでしょうか。そうならないためにも、私たちは今ある平和のありがたさに感謝し、一生懸命に生きて、これから先の世代に戦争のことを伝え続けなければならないと思います。

【優秀賞】BANU FATIMAさん
「心に平和を持っていれば戦争にはならないじゃない?」

BANU FATIMA(バヌ・ファティマ,ネパール)さん
戦争と平和という言葉は実際には強い意味を持っています。幅が広いこの二つ言葉は非常に複雑です。今日は皆さんに戦争と平和は人生の生活にどう言う役割をしているか教えていきたいと思います。 1814年にネパールに” グルカ戦争、英ネパール戦争、東インド会社”と言う戦争が起きました。英語では“BRITISH EAST INDIA COMPANY ”と言います。その戦争は1816年に終わりました。ネパールとイギリスの戦争は世界的にも有名です。ネパールの人々は当時、苦しんでいたことは現在、私の祖母、祖父に聞いて私も知っています。その戦争のせいで何人も亡くなってしまいました、何人が自分の家族、子ども失いました。その話はとても寒気がするほどおそろしいものでした。とても大変なことあってもネパール軍ががんばってその戦争に勝ちました。その戦争が終わった自体でネパールに平和ができた。その日はネパール人のために忘れられない日でした。 グルカ戦争の詳しいことを説明しようとしたらとても時間がかかるかもしれませんが、今日皆さんに教えていきたいことは戦争と平和はコインの両面です。国と国の戦争だけは戦争とは言いません。ニュースによると国の中にも人々が宗教、伝統すべてのためにけんかをしているそうです。人々が住んでいるコッミュニテイの小さいけんかから始まって大きいな戦争になることが多いとわかります。 我々は認識し、平和の大切さを理解しておく必要があります。必要性を助ける、周りを見るのは人間としてとても大事なことだと思います。我々は中よくなって住む、楽しい生活を進んでいくことは平和だと思います。世界中に平和を広めようとしたら大変かもしれませんが、周りから始まっていて全国に広げっていったらできないことはないと思います。心に平和を持っていけ世界は“平和な世界”に変えることができると思います。皆さんも平和の気持ちを持ってください。以上です。ご清聴ありがとうございました。

【努力賞】若松 思温さん「戦争を感じる」

若松 思温さん
今年は戦争終結から70年ということできっと日本人の多くが戦争について考えたことでしょう。もちろん私もそんな中の一人です。 今、世の中には戦争や争いをテーマにする映画や小説、漫画、テレビが溢れています。そのおかげで私も多く目にすることがあります。その多くが戦争の悲惨さや残酷さをつたえるものですが、いったいどれだけの人が「戦争」自体を見ているのでしょうか。「戦争」事態は意識からはずれているのではないでしょうか。私にとってもそれは同じで、映画は楽しんでみるためのものであって、決して「戦争」を知るためのものではありません。逆に「戦争」や「殺し」といった言葉がどんどん身近なものとなっていて危機感や恐怖というものがどんどん薄れているように感じます。 私は本当の意味での平和と戦争を知るためには自分が戦争を体験するしかないと思います。しかし誰も自ら進んで経験したくはありません。だから経験者の話を聞くことが今、戦争を知るためには一番だと思います。 私は高校生のころ戦争とはどこか浮世離れしたものでこの世に存在しないものであるように感じていました。その理由は私が学校の歴史の授業で学ぶのはいつ、どこで、なぜ戦争がはじまり、終わったのか、そしてその後どうなったかなど教科書を通して事実の確認をしているだけであったと感じたからです。戦災にあった人の経験談を聞くこともありません。そこに戦争の悲惨さや生々しさをかんじることはできませんでした。  そんな時高校の創立記念の日に当時テレビ番組で大人気だった戦場カメラマンの渡辺陽一さんの話を聞く機会がありました。話の中で渡辺さんが少年兵に襲われた話がありました。10歳ほどの子供たちに囲まれて銃を突きつけられ、危うく殺されそうになったがお金を渡すことで袋叩きにあうだけなんとか命が助かったという話でした。感情の読み取れない目が恐ろしかったそうです。  私は無感情でお金と人の命が簡単に交換されたということに映画でよく見る身代金を要求する犯人よりもずっと生々しく気持ちの悪いものを感じました。  戦後70年であり、安全保障関連法案で戦争に関心が高まっている今こそ、戦争を体験した人の生の声をもっともっと聞くことで、戦争の恐怖、その生々しさを感じ、中身を知ることが私たちには必要だと思います。

【努力賞】刘 清欣さん「戦争は昔のことではない」

刘 清欣(リュウ セイキン,中国)さん
平和な国で住んでいる私は、「戦争なんて昔のこと」「自分とは関係がない」そう当たり前のように思ってすごしてきました。 しかし、あるニュースのきっかけでそう思えなくなりました。意識失い地中海漂流、幼い難民の子を救助というニュースでした。最初このニュースの見出しを見ると、頭に浮かんで来た「難民」は経済の貧困、自然災害、飢餓、伝染病などの理由によって自国から逃げ出した人達の事だと思いました。よく読むと、僅か一歳半のシリア難民の男の子が乗っていた船がトルコ沖で転覆して漂流していたところをトルコの漁船に救助される様子が撮影されました。今回、男の子は救助されたが、同じ船に乗っていたほかの15人は見つかっていないということで、命を危険にさらしながらヨーロッパを難民達の厳しい状況が改めて浮き彫りになっています。根本的の原因は戦争でした。調べてみると政治、領地、宗教の原因で火をつけた国はまだたくさんあります。私は本当に胸が苦しくなりました。命の重さを痛感しました。 世界中の皆さん、戦争とはよく耳にしますが、戦争とは何か本当に知っていますか?戦争は平気で人の命を殺す暴力の集まりです。今まで一人の命を大切にするという言葉を聞く機会は多かったが、その意味を実際に感じる事はほとんどありませんでした。そして戦争に対し私たちに何かできますか?まずは戦争というものを知る。情報化社会と言われ、インタネットで検索すれば求める情報が必要以上に目の前に現れる。テレビをつければ今現在もなお、世界各地で行われている戦争や紛争の情報が生々しい映像と共に飛び込んでくる。戦争と言うのもを知った以上、体験したことはないが、自分の意志で情報を手操り寄せ、想像力を働かせれば、当時がどのように酷い状態だったか、知ることは可能なのです。そして、自国の過ちについては目を背けることなく向き合う、戦争が勝っても負けても必ず命はたくさん失います。戦争中に何か起こったかという「現実」は映像とともに後世に伝え続けなければなりません。「戦争」ということを受け続いて行き、この悲惨な戦いを終わらせるべき、良い未来への希望ではないでしょうか。

【審査員特別賞】淺見 香璃さん「アメリカ軍人の写真から」

淺見 香璃さん
今年の8月15日に戦後70年。多くのテレビや新聞でこのことが取り上げられていた。戦争を経験していない私にとって、あまりピンと来るものではなかった。おそらく多くの若い世代の方は私と同じ様に思っているのではないだろうか。私が小学生のとき、授業で戦争のことについて勉強する機会があった。そして、自分の身近な祖父母に戦争の話を聞くという課題をした。しかし、戦争のことを様々きいたがほとんど忘れてしまっていた。そんな中今年テレビで戦争の番組や学校でビデオを見て、自分が戦争のことを知らなかったことについて恥ずかしさを覚えた。ちょうど今回の文化祭で「戦争と平和」について作文を書くことになったため、私はインターネットで様々な戦争についての記事や関連する記事を読んだり、動画を見たりした。その中で特に印象深かったものがある。 相手国アメリカ軍のジョー・オダネルさんという方が占領軍として長崎に入り、許可無く日本人を撮ってはいけないという軍の命令に背いて、そこに生きる人々を密かに撮影した。その写真を43年間隠してきたが、長崎の悲惨な光景を見て衝撃を受け、そのことを多くの人々に知らせなければならないと思い写真を公開し、体験を語る活動を始めたという話である。 その記事の初めに『突然の日本軍による真珠湾攻撃。私は復讐心に燃え、海兵隊に志願した。日本人に怒り、日本人を殺すために、軍隊に入ったのだ。』とオダネルさんは言っている。日本人に対してこのようなことを思っていたオダネルさんが、どうして軍の命令に背いて写真を撮ったのかとても気になった。長崎の光景や多くの傷ついた人々を撮影しているうちに、原爆を落としたこと、さらに戦争が間違いだと気づいたのではないだろうか。もしそうならば、アメリカの大統領や軍のTOPの方たちにもこの状況を見てほしかったと思った。今でも原爆を落としたことが「間違っていなかった」、「必要であった」「原爆は日本の真珠湾攻撃と比べても悪くない」と言っている退役軍人たちがいる。アメリカ人のほとんどがこのような事を思っている中で、オダネルさんは間違ったことを間違っていると言っていてすごいと感じた。国に対して反対意見を言っているのと同じであるのに・・・。 私はオダネルさんの記事や写真を見て、戦争がどれだけ悲惨で残酷なことかがわかった。そして、戦争が二度と起こらないよう私たちの下の世代にも伝えていかなければならない。そのために、戦争を経験したことのあるおじいちゃんおばあちゃん世代に多くの話を聞いて、しっかりと下の世代に伝えていきたい。

参考文献:http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/c45f9793732aa7e8116d123f503b3dd9