体験入学・説明会実施中 資料請求はこちら!

2016年度 第30回スピーチコンテスト

【優秀賞】小田原 颯さん「知るということ」

小田原 颯さん
私が生まれたときから、すでにインターネットは広く世に普及していて、気が付けば私たちの生活にはなくてはならないものになりつつあります。素早く、簡単に、多くの情報を与えてくれるネットは、とても便利ですし、私もよくお世話になっています。ですが、ネットで調べた情報だけに頼り切り、それだけで知った気になってしまうのはとてももったいないことだと思います。
私には色々な趣味があります。料理であったり、DIYであったり、山登りであったり、興味も持ったことには片っ端からトライしています。そういった趣味に打ち込むとき、私はまず、ネットで情報を集めます。そうしてある程度情報を集めてから、実際に行動に移すのです。そうすると、事前にある程度の情報を得ていても必ず様々な発見があります。ネットの、文章だけでは決して知ることのなかった、リアルな生きた情報と出会うことができるのです。
つまり、ネットの情報だけで知った気になり、実際に行動に移さないのは、生きた情報と出会うチャンスを逃す、とてももったいない行為なのです。例えば、料理のレシピを知っていても、作って食べなければその美味しさはわからないし、山頂からの景色を撮った写真を見るのと、その場所に行き自分の目でその景色を見るのとでは、全然違うものが見えてくるはずです。
さらに、実際に行動に移すことで生まれるメリットがあります。実際に行動に移したことにより話す内容に実体験が伴うため、情報のみの話よりも説得力のある話になります。そういった話は相手に信頼感を与えるため、他人との人間関係を形成するときに大いに役に立ちます。
また、実際に経験するというのは、たとえ失敗したとしても、必ず自分自身の成長につながります。そもそも、初めて体験することを一発で成功させるのは中々難しいことです。なので、たとえ失敗しても自分には向いていなんじゃないかと気にする必要はありません。
これは結果より過程が大事、ということではなく、過程を経て得た結果が大事ということです。自分の手で引き起こした失敗は、失敗の原因が自分の行動にあるため、すべてのプロセスを見直せば必ず自分の手で解決することができるからです。そうして一つ一つの問題を解決していくことで自信が付き、人間的に成長していくのです。
何かを知る、というのはネットやメディア、他の人から情報を見たり聞いたりする、ということだけでは完成しません。他から得た情報をもとに、実際に行動に移し、その結果を自分の中で組みなおして、ようやく知識と呼べるものになるのだと私は思います。

【優秀賞】DAHAL BINODさん「私と日本語と日本人の温かい心」

DAHAL BINOD(ダハル ビノド)さん
【ネパール】
私はダハル ビノドと申します。ネパールから来ました。私のスピーチ のタイトルは私と日本語と日本人の温かい心です。
私は子供のとき日本語のアニメを見たのがきっかけで日本へきました。私は 日本へ来る前に少し日本語勉強しましたが間違えないように言葉を使うことがむずかしかったです。私は日本語の学校で初めて日本語の勉強したときHIRAGANAの「ろ」と「る」、「あ」と「お」(だいたい 同じね)、「か」と「や」(それも同じね)、「ね」と「わ」、(それも同じね)「ぬ」と「め」が同じに見えまいた。あとKATAKANAの「ク」と「ケ」、「ワ」と「ウ」(それも同じね)、「シ」と「ツ」も同じに見えました。HIRAGANAの文字がくるくるくるくる。ラーメンにみえました。多分一つのフォークがこわれてKATAKANAの「ヨ」と「ノ」になったと思いました。あと漢字の勉強も難しかったです。あと言葉も同じに聞こえました。たとえば「新しい」、「すばらしい」、「とうがらしい」、「かわいらしい」、「めずらしい」。らしい らしい らしい らしい。同じに聞こえました。「にがい」、「ながい」、「まちがい」、「おねがい」、がい がい がい がい。同じに聞こえました。わからない、、、しらない、、、、。私の耳が良くないのか本当に同じに聞こえました。ざんねんです 思って本当に上手になりたいと思いました。そして家で日本語のテレビ見たり、日本語のマンガ読んだりしました。そのあと日本語だんだんおもしろくなってきました。
この学校にいろいろな国から来たたくさんの友達がいます。みなさん日本人の温かい心をかんじたことはありますか? きっとあるとおもいます。私はそんな心をかんじったことはよくあります。 私のアルバイト先のレストランでグラスをさげたときグラスをおとしてしまいました。みんなはしってきました。店長も来たので私はとっても怖くなりました。店長のさいしょの言葉が『けがしてないですか?よかった。』私はビックリしました。なんで店長はおこってないのか?私は何回も店長にすみませんでしたと言ってあやまりました。でも店長が『大丈夫、大丈夫、グラスはわれものだからね』と言いました。店長がグラスのことよりも私の体を気づかったこととってもかんどうしました。あたたかい心を持ってる日本人すべては世界の中で一番だと思います。なぜかと言うとあいてのことを良く考えるからです。日本が、犯罪が少なくて安全な国になっているのは 日本人の温かい心が大きな理由かもしれません。

【努力賞】小谷野 晴香さん「人の気持ちを考えるということ」

小谷野 晴香さん
私は今回作文のテーマを考えながら、文章にして形にすることで自分の考え方や価値観を見直すいい機会だと思いました。なぜ人の気持ちを考えるということをテーマにしたかと言うと、気持ちや考えには決まった答えがなく、人それぞれ違った視点で見ることができると思ったからです。
人の気持ちを考えるというと、小さい頃からよく言われる「自分がされて嫌なことは相手にもしない」という言葉を思い浮かべる方が多いと思います。しかし、今回私が目を向けたのは仲の良い友人等から相談を受けた時の言葉です。
私がよく考えるのは相手の気持ちを考える事と、相手の気持ちになって発言することは全く別物だということです。楽しいことであれば、自分の事のように楽しんでくれる事を不快に感じることは少ないかも知れません。しかし、悲しいことだった時はどうでしょうか。私は「こうした方がいい。」「これは間違っている。」等の言葉を辛い時に言われるのが好きではありません。もちろん本当に誰が見ても間違った行為をしている時は別ですが、本当に辛くて話す相談は人それぞれの考え方があり決まった答えがないものがとても多いと思います。少し捻くれた考えなのかも知れませんし、この時点で共感できない方もいらっしゃると思いますがあくまで自分のことを思って言ってくれているのは理解した上での考えです。
なぜこういう考えを持つかと言うと、「こうした方がいい。」等はあくまで自分の“考え”であり、皆の“答え”ではないからです。相談をしてきた相手はその言葉で自分を否定された気持ちになることも多くあると思います。だからこそ今度は人に相談するのも怖くなり一人で抱え込んでしまう様になるのではないでしょうか。
私はそれこそ自分がされて嫌なことです。例えばですが、本当に軽い相談で赤の服と青の服どちらを買おうか迷っている友人が居て「赤が好きだけど青も可愛いから迷っているんだよね。どっちがいいかな」と聞かれたとき「絶対青がいいよ」と決めつけて言ってしまうより「赤もいいけど私だったら青を買うかな」と言う方が自分の考えを押し付ける事はなく、しっかり伝えることが出来ます。何かを選ぶことに対してだけでなく、色々な悩みに置き換えられると思うので、二つの言い方の差を感じて頂きたいです。
この考えも、もちろん答えではありませんが私はこれからもこの考えを捨てずに他の人の意見も聞いて自分の中でより良い考え方になるようにしていきたいと思っています。私の考え方を聞いて誰かの考え方が変わることは望みませんが少しでもこういう考え方もあるな、と感じていただければ嬉しいです。

【努力賞】ROLAND THANGさん「人間はだれでも間違いはあります」

ROLAND THANG(ローランド タン)
さん【ミャンマー】
人間はだれでも間違いはあります。十人十色ということばように十人いるんだったらば十個の考え方があります。だからわたしがこれはこれですと思ってももう一人の考え方では間違いかもしれません。この話にかんして短い話を皆に伝えたいと思います。
昔、ある夫婦がいした。この夫婦はとてもやさしく、とてもまじめな夫婦です。この夫婦には子供が一人いました。夫婦と同ように子供もとてもまじめでした。お父さんは毎日会社で働いて時々夜遅い時間まで仕事する時もあります。毎日仕事で疲れましたが家についたら子供と奥さんの顔を見てとても幸せで疲れるのも忘れてしまいました。毎日毎日楽しくいい生活をしてしあわせでした。
ある一日は会社で何かしらの問題があってえらい人たちにおこられました。すごく悲しくて、何も食べず、飲まずに一日をおわせました。その日お父さんはよる遅くに帰ってきました。いつも通り奥さんが夜ご飯食べましょうと言って、お父さんがさきに二人で食べて俺が後にするからといました。
食事後で子共がお父さんに聞きました。お父さんの時給はいくらですか?1000えんです。そしたら、500円で貸してくれませんか?すごく、おごった顔をだしてお前!金って簡単にもらえるとおもうの?いいから、はやく寝なさいと言っていました。そして、子供がとてもかなしくて声をださずに泣いていました。少し時間たったあとでお父さんがさっき子供になにも聞かずに何いましたかとおもいだして、子供のところに行ってさっきごめんね。何のためにお金借りたいのか?子供はお父さんが家に帰る時間がおそくてお父さん帰るとき練ってしまいます。お父さんといっしょにご飯たべたいです。今僕は500円を持っています。お父さんが500円貸してくれれば1000円になりますので、あした、いつもより仕事を一時間早くおわらせて、僕が一時間分を払うのでいっしょにご飯をたのしくたべたいからです。その話しを聞いたお父さんはだきしめてくれて、涙がとまりませんでした。
この話の大切なところはだれても間違えることがあるということです。大きいこと小さいこと、多かったり少なかったりの違いはあります。間違いが少なくなれば少ないほどいいことになります。間違いを少なくなるためには自分の考えだけでなく、相手が何を考えているのかを知ることが大切だと思います。

【審査員特別賞】榎本 敦士さん「お金と友達」

榎本 敦士さん
皆さんはお金で友人を失ったことはありますか。今から僕の人生における大きな失敗談について話します。
高校の時の話です。僕はギターをやっていて、所属していたバンドがライブにエントリーしました。しかし、ボーカルがインフルエンザにかかってしまいました。よって、残ったメンバーで楽器を演奏しながら彼の役割を補い、なんとかしてライブを終えました。
ここで問題になったのが彼の分の出場費でした。一応、僕が持ち合わせていたので、その場にいない彼の分は僕が払いました。しかし、翌日、彼は払わないと言い張りました。確かに、出なかったライブの出場費を払うことには違和感がありますし、僕もその立場だったら、とは思います。
僕とボーカルの間で、払え、払わない、の言い合いになりました。ネット上での長きに渡る口論の末、第三者の協力によりしぶしぶ彼は人つたいに僕に払い、幕は閉じられました。しかし、彼とは残念ながら事実上、絶交することになりました。金額は大金ではなかったと思いますが、今となっては残念な結果に終わってしまいました。
ここで思ったことは、今までも友人達とけんかをすることはありましたが、縁を切ることになったのはこれが初めてで、ようやく、お金という、ぺらぺらの紙切れの、内在的な怖さにとても驚愕しました。
僕は高校の軽音楽部の部長を務めていたので、ライブを開催する時は僕が全員の出場費を徴収し、ライブハウスの受付に払っていたので、現金の取り扱いにはすっかり慣れていたつもりでした。ですので、この出来事は僕の人生において、お金の怖さを印象的に植え付けたものになりました。
お金の貸し借りは信用によって成り立つものですから、一度壊れてしまっては収拾のつかない事態に陥りかねません。もし友人の間でお金の貸し借りをするときは、よく話し合い、互いに了承してから、いつ、どこで、いくら貸したか、借りたかを明確にし、いつでも確認できる形にしておくことが大切だと思います。
僕の場合はその取引の結果をSNSの一つであるラインの機能で管理しています。
皆さんは友人とお金の貸し借りをしたことがありますか。少額であっても一度くらいはあると思います。しかし、お金は友人関係に作用することがあり、場合によっては関係に悪影響を及ぼすことがあります。それをことあるごとに深く考えるべきです。

皆さんもお金の扱いにはご慎重に。